Close-up technique

実戦クローズアップフォト


実戦クローズアップフォト

佐々木 崑

私が接写や顕微鏡写真を発表したのは、1963年に「科学の色」、翌1964年に「科学の歳時記」を文芸春秋にカラー見開きで連載したのが、微視の世界に関わる発表を始めた出発点である。

それまでは主として報道写真とスタジオ写真で、中でも報道写真を主たる目的としていたのだが、ある時木村伊兵衛の勧めで、東京シネマという世界的にも勝れた科学映画会社で、スチール写真を手伝うことになった。

その映画会社では「生命シリーズ」という科学映画の製作が中心で、私が入社した頃は「生命誕生」という生命シリーズ中の、ニワトリの誕生までの生態を撮影して、時々映画の短い場面のラッシュ(試写)があり、なかなか興味深いのでできるだけ見ることにしていた。

何百倍という高倍率の顕微鏡的視野のカットが多く、よく説明を受けなければ、私には理解できないレベルの映像だったが、生命の誕生という地上最大のドラマに心を打たれ、なんとか誰にでも分かり親しめる映像がないものかと、折にふれて考えていた。


1966年頃には、今日ほど便利な器材はなかったので、自作したり、別のものを利用したり、改造したり、目的に合わせていろいろと工夫をしたものである。

その工夫がなければ撮影できなかったものも私の作品の中にはかなりあるのである。要は何かをものにしたいために工夫があり、これが又楽しみでもあった。

右の写真は、ライカR3モーター付きとライカ2型ベローズ、その先についている2個のリングは自家製で、前についているレンズはミノルタの引伸し用80ミリ、最小絞りF45の組み合わせである

カメラと器材についてはまだまだ工夫があるのだがきりがないので省略する。


沢山の方法と臨機応変ということもあるので、室内と野外での方法を写真で説明する。

写真左は室内セット、左側はカメラ、中央は被写体の花、右側はバックの紙。

このセットに限らず野外でも、できるだけ左右の手を自由にする配慮が必要で(写真右)、ピント合わせとシャッターチャンスに素早くシャッターを切るためにストロボはフレキシブルに取り付け、照明角度などは固定する方法にしなければ動きのある生き物たちの撮影など、ストロボまで手持ちでは不可能になるからである(小動物など限る)。 野外でねばらなければならない時も同様にセットする。


佐々木 崑


1918年 11月2日、中国青島生まれ。

1951年 木村伊兵衡に師事。

l955年 神戸市にてカメラ店経営。

1957年 大阪市にて商業写真スタジオ経営のかたわ ら、グラフ誌、週刊誌、カメラ誌等に作品を発表。

1960年 フリーカメラマンとなり、3月上京。

1963年 科学映画社東京シネマ社に入社、科学写真 を担当。

1963年 月刊誌「文芸春秋」に「科学の色」を1年間 連載。

1964年 同上誌に「科学歳時記」を1年間連載。

1966年 1月号より1980年6月号迄朝日新聞社「アサ ヒカメラ」に「小さい生命」を13 年6ケ月連載。

1968年 第1回「小さい生命」写真展を銀座「ニコンサロン」にて開催。

                  以来東京、 京都、大阪、福 岡、柏埼、北海道、沖縄、天津などで開催。

1969年 東京シネマ退杜、再びフリーカメラマンとなる。

1972年 日本写真協会年度賞  受賞。

1973年 朝日新聞日曜版に「ミニ博物誌」を1年間連載。

1978年 自然科学写真協会を竹村嘉夫と6月6日に設立、副会長となる。

1981年 菊池真一会長が名誉会長となり、2代目会長となる。

1983年 「アサヒカメラ」3月号より「新・小さい生命」の連載を始める。

1991年 12月号で「小さい生命」「新・小さい生命」 合計25年の連載をおわる。

1992年秋 勲四等瑞宝章叙勲。


日本自然科学写真協会 第2代会長。

著書 

1971年 「小さい生命]を朝日新聞社

1978年 「生命の誕生」を家の光協会

1979年 この年よりフレーベル館のかんさつシリーズに「メダカの誕生」「カイコの 一生」「ホタルの 一生」など

1984年 「実戦クローズアップフォト」朝日ソノラマ

1988年 モルフェー「花の形態誌」IPC

1992年 「新・小さい生命」朝日新聞社

1995年 「誕生物語]データハウス
アサヒグラフ 1961年11月10日号 ルポ「麻薬地帯・神戸」特集・白い悪魔など。

(佐々木氏のご厚意により、SSP会報38号および当時のHPより引用いたしました)

(掲載写真等の著作権は、作者に所属します)

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